こんにちは。「都会のはしっこ、2LDKで育ててます。」の管理人です。
本日は、読売KODOMO新聞のワールドトピックス深掘りシリーズの第10弾です。
前回はホンジュラスについて、マヤ文明の末裔たちが暮らす日常を覗いてみました。
2025年12月18日号の読売KODOMO新聞で「リトアニア共和国」が紹介されていました。
リトアニア。
正直なところ、私の知識は「ヨーロッパのどこかにある」「バルト三国のひとつ」という程度で止まっていました。
バルト三国を北からエストニア、ラトビア、リトアニアと呪文のように暗記した学生時代の記憶がうっすらあるくらいです。
知らない国を「自分ごと」にする連載。
今回は、この「リトアニア」という国の輪郭を、記憶のフックになりそうな特徴ではっきりさせてみたいと思います。
この記事の3行まとめ
- バルト海に面し、北海道より一回り小さい面積に約288万人が暮らす森と湖の国
- 5万本以上の十字架が立つ丘や、琥珀の産地として知られる独自の精神文化を持つ
- 命のビザで知られる杉原千畝ゆかりの地であり、日本との歴史的・感情的な繋がりが深い
国の基本情報
まずは、基本データから。
- 位置: バルト海の東岸に位置し、北はラトビア、東と南はベラルーシ、南西はポーランドとロシアの飛地カリーニングラードに接しています。
- 大きさ: 約6.5万平方キロメートル。北海道(約8.3万平方キロメートル)より少し小さいくらいのサイズ感です。
- 人口: 約288万人(2023年)。これは日本で例えると茨城県の人口(約279万人)とほぼ同じです。
- 公用語: リトアニア語。インド・ヨーロッパ語族の中でも特に古い形態を残している言語と言われています。
- 国旗: 黄、緑、赤の三色旗。黄は太陽と豊穣、緑は森と希望、赤は大地と自由のために流された血を象徴しています。
リトアニアの歴史を眺めていると、大国に囲まれながら自国のアイデンティティを必死に守り抜いてきた執念のようなものを感じます。
そんな彼らの「守り抜く力」は、一体どこから来ているのでしょうか。
記憶に残る“フック”になる特徴
圧倒される「十字架の丘」と不屈の精神
最初のフックは「十字架の丘」です。

リトアニア北部のシャウレイ近郊に、数えきれないほどの十字架が立てられた小さな丘があります。
2001年にユネスコの無形文化遺産にも登録された「リトアニアの十字架製作とその象徴」の象徴的な場所です。
もともとは、ロシア帝国に対する蜂起で亡くなった人々の遺族が、遺体を引き取れなかった代わりに十字架を立てたのが始まりと言われています。
ソ連時代には、宗教を否定する当局によって何度もブルドーザーでなぎ倒されました。
しかし、夜になると住民たちがこっそり忍び込み、再び新しい十字架を立て続けたそうです。
現在、その数は正確には把握できていませんが、10万本以上とも言われています。
大きな木製の十字架から、数センチの小さなロザリオまで。
風が吹くと、十字架同士がぶつかり合い、カタカタと乾いた音が鳴り響きます。
目に見えるものを壊しても、心の中にある信念までは壊せないという人間の強さを感じますね。
「禁止されたからやめる」のではなく「大切なものだから守る」という行動が、何世代にもわたって繰り返された結果、この光景が出来上がりました。
単なる観光地ではなく、祈りと抵抗の積み重ねが形になった場所なのだと実感します。
バルト海の金「琥珀」と森の記憶
2つ目のフックは「琥珀」です。
リトアニアを含むバルト海沿岸は、世界有数の琥珀の産地として知られています。
世界の琥珀の約80%-90%がこの地域に集中しているとも言われ、リトアニアの人々にとって琥珀は「リトアニアの金」と呼ばれるほど身近な存在です。
琥珀は、数千万年前の松柏科植物の樹脂が化石化したものです。
リトアニアの海岸では、嵐の翌朝などに海岸に打ち上げられた琥珀を拾うことができるそうです。
琥珀の中には当時の昆虫や植物が閉じ込められていることもあり、まさに「タイムカプセル」のような存在です。
リトアニアの人々は、琥珀を単なる宝石としてだけでなく、お守りや薬としても大切にしてきました。
赤ちゃんの歯が生え始める時期に、痛みを和らげるために琥珀のネックレスをつけさせる習慣もあるそうです。
リトアニアの深い森と、荒れるバルト海。
その両方の自然が合わさって生まれた琥珀は、この国の風土そのものを体現しているような気がします。
杉原千畝と「命のビザ」が結ぶ日本との縁
最後のフックは「杉原千畝」です。
第二次世界大戦中、リトアニアの当時の首都カウナスにあった日本領事館で、ナチスから逃れてきたユダヤ人たちに日本への通過ビザを発給し続けた外交官がいました。 それが杉原千畝です。
政府の命令に背いてまで、領事館を閉鎖して列車に乗る直前までビザを書き続けた彼。
その舞台となった旧日本領事館は、現在は「杉原ハウス」として記念館になっています。

リトアニアを訪れる日本人の多くがここを訪れるそうですが、実はリトアニアの人々にとっても、杉原は特別な存在です。
カウナスには「スギハラ通り」があり、地元の子供たちも彼の功績を学んでいます。
リトアニアという、日本から8,000キロも離れた遠い国で、一人の日本人の名前が深く刻まれている。
歴史の教科書で読むと「偉大な人物の物語」に聞こえますが、実際にその場所を訪れ、彼が使っていた机や窓から見える景色を想像すると、それが一人の人間による切実な決断だったことが伝わってきます。
リトアニアという国が、自国の苦難の歴史とともに、他者を救った日本人の記憶も大切に守り続けていることに、言葉にできない繋がりを感じずにはいられません。
まとめ:この国から感じたこと
「リトアニア共和国」
調べる前は、ぼんやりとした「バルト三国のひとつ」という記号でしかなかった国。
しかし、記憶に残りそうな特徴をフックに調査してみると、
「ブルドーザーになぎ倒されても立ち上がり続けた十字架の丘」 「数千万年前の森の記憶を今に伝える琥珀」 「遠い日本の外交官が下した決断を今も語り継ぐ人々」
として、少しだけ輪郭がはっきりしました。
リトアニアの歴史や文化に共通しているのは、「目に見えない大切なものを守り続ける」という姿勢ではないでしょうか。
十字架に込められた祈りも、琥珀に閉じ込められた時間も、杉原千畝が守った命も。
それらはすべて、効率や経済性だけでは測れない価値を持っています。
ではでは。

