こんにちは。「都会のはしっこ、2LDKで育ててます。」の管理人です。
最近、教育系のメディアや特集を見るのが日課になっています。
先日に続き、日経xwomanの記事からインスパイアされてブログを書いてみます。
PIVOTのEDUCATION SKILL SETでもよく拝見する山口真由さん。
「勉強はするもの」という考え方に、私自身も深く共感しちゃいます。
私自身、気がついた時には毎日勉強するのが当たり前という習慣で育ちました。
だから、体調を崩して寝込んだ時など、習慣が崩れると逆に落ち着かなくなるような感覚があります。
今日は、そんな山口さんの記事に触れながら、我が家の小学2年生の娘の学習習慣と「褒め方」の反省について書いてみたいと思います。
この記事の3行まとめ
- 勉強は「モチベーション」でするものではなく、「歯磨き」と同じ生活習慣であるべき
- 毎日の学習を「えらいね」と褒めすぎると、それは「特別なこと」になってしまう
- 目指すゴールは、勉強しないと「なんだか気持ち悪い」と感じる身体感覚
勉強は「歯磨き」と同じでいい
今回、私が深く共感したのは、「勉強は楽しいとか辛いとか、そういう次元の話ではなく『するもの』だ」という哲学です。
これ、すごく本質的だなと思いました。
例えば、私たちは毎日歯を磨きますし、お風呂に入ります。
そこに「今日は歯を磨くモチベーションが上がらないな…」とか「お風呂に入るの、すっごく楽しい!」という感情はあまり挟まないですよね。
ただ、生活の一部として「淡々と」こなす。
やらなければ気持ち悪いし、やるのが当たり前。
勉強も、この領域まで持っていけたら最強だなと思うのです。
やる気に左右されず、息をするように机に向かう。
それが本当の意味での「学習習慣」なのかもしれません。
「えらいね!」と褒めてしまう私の反省
我が家には小学2年生の娘がいます。
現在、スモールステップではありますが、毎日何かしらの勉強をする時間は作れています。
宿題だったり、ちょっとしたドリルだったり。
でも、娘が机に向かっていると、私はつい言ってしまうんです。
「毎日やってえらいね!」
「すごいね、頑張ってるね!」
もちろん、認めてあげることは大切です。
でも、「勉強は当たり前のこと」という視点に立つと、この過剰な称賛は少しズレているのかもしれない、と気づきました。
だって、朝起きて顔を洗った娘に「顔を洗ってえらいね!すごい!」とは言いませんよね。
「ご飯食べてえらいね!」とも言いません。
「すごいね」と褒めるということは、裏を返せば「それは特別で大変なことなんだよ」と刷り込んでいるのと同じこと。
「勉強=大変なこと=褒められるべき特別な行為」
という図式を、私自身が娘の中に作ってしまっていたのかもしれません。
目指すのは「やらないと気持ち悪い」という感覚
私自身の子供時代を振り返ってみると、確かに親に「勉強しなさい」とガミガミ言われた記憶があまりありません。
かといって、「すごいね」と過剰に褒められた記憶もないんです。
ただ、淡々と自分の部屋で勉強をする習慣があり、それが「空気」のように当たり前でした。
「やりたい」ではなく「やらないと変な感じがする」。
娘にも、いつかこの感覚をプレゼントできたらいいなと思います。
旅行の時などの非日常は別として、日常においては「勉強するのがデフォルト」の状態。
そのために親ができるのは、褒めちぎることではなく、淡々と環境を整えることなのかもしれません。
これからの我が家の作戦
とはいえ、まだ小学2年生。
いきなり一切褒めないのも、やる気を削いでしまいそうです。
なので、これからは「行為そのもの」を大げさに褒めるのではなく、「定刻通りに進んでいること」や「集中している姿勢」をさらっと認める方向にシフトしていこうと思います。
「お、今日もいつも通りだね」
「この時間がくると落ち着くね」
そんな声かけに変えていけたら。
テレビがついているのに「勉強しなさい」なんて理不尽なことは言わず、時間になったら親も静かに本を読む。
そんな「当たり前の空気」を、この空間の中で少しずつ、でも着実に作っていきたいと思います。
「勉強はするもの」。
このシンプルな境地を目指して、まずは親である私の意識改革からスタートです。
ではでは。